営業職などでノルマを達成出来ないと、ひたすら叱咤される詰めという文化がある。
かつては体育会系、軍隊で使用されてきた教育法であり、相手を徹底的に侮辱することで人格を否定し、思考力を奪い、命令に従う軍人を作るのに利用された手法だ。
巡り巡って、なぜか日本では一部の会社で詰めの文化が残っている。
詰めるという教育法は恐怖による支配であり、上下関係を絶対のものにする手法だが、先進国の企業で行われて良いものではない。
なぜ現在に至るまで詰めるという教育法が日本の企業を支配しているのか?
その理由を考察した。
奴隷としての耐性をつけさせる
日本はサービス残業天国だ。労働管理局の監視はザルで、サービス残業はそこら中で行われている。
当然、企業としては人件費を抑えたいがためにサービス残業を推奨する。その方法が詰めることによって起こる奴隷化だ。
サービス残業は通常、違法行為であり拒否することが出来る。
しかし、恐怖による支配が行われている詰め社会であれば、ノルマ未達成の分をサービス残業で奉仕せよ、という暗黙の了解を強いることが出来る。
思考力を奪う詰めは、ノルマ未達成=サービス残業という一見、不合理な方程式を常識として刷り込ませることが出来るのだ。
自己都合退職によるリストラを狙う
詰めは成績の悪い人材をリストラするときにも使われる。
通常、リストラは退職金を上乗せして去ってもらうのが常識だ。しかし、自己都合退職であれば退職金を上乗せする必要はない。
また、日本企業は簡単にリストラをすることが出来ず、正規雇用をしてしまうと首切りが難しい。
そこで、詰めにより精神的に追い詰め、最終的に自己都合退職を強いるのだ。
外資系の「明日から来なくていい」というリストラは日本人にとって辛いように見えるが、ジワジワと詰めで自己都合退職を迫るのも恐ろしいものがある。
詰めの文化は刑務官と受刑者に似ている
詰めは絶対的な上下関係を叩きつける教育法だが、その構図は刑務官と受刑者に似ている。
受刑者は刑務官のルールに逆らうことが出来ず、やがて受刑者同士で足の引っ張り合いをはじめる。
詰めの文化は心理的にも「下には何をしてもいい」といういじめに似た構図を生み出す。
パワハラという言葉が生まれ、パワハラの相談窓口への相談件数は右肩上がりだが、結局、一度染み付いた文化を変えるのは難しく、相談をしても何も変わらないことが多い。
日本は軍隊教育を恥じるべき
軍隊教育は民間企業でやって良いものではない。
学校の部活動やスポーツ界で、指導という名のいじめが問題になっている中、未だに軍隊式の教育は一部の人間に賛美されている。
そこに合理的な理由はなく、恐怖による支配は今も様々な企業で行われている。
硬直化した雇用法とかつての軍隊教育が生み出した詰めるという教育法が、早く消えてくれることを祈る。